高野山の見所
高野山には数多くの参拝、巡拝場所があります。
その参拝、巡拝の参考になり、多くの御利益・功徳を得られる助けになれば幸いです。
大門【重要文化財】
高野山開創時、当初の建物は鳥居でしたが、その後何度か建て替えられ、現在の建物は、宝永2年(1705)に再建。両脇の金剛力士像は、江戸時代の仏師康意(阿形像)・運長(吽形像)の作です。
霊宝館【国登録文化財】
高野山に伝わる国宝、重要文化財を始め、貴重な文化財を保存、展示する施設として、大正10年(1921)に建設されました。年間を通じて、常設展以外にも、特別展、企画展などの催しが開催されます。
御影堂
弘法大師の自仏堂で、現在の建物は、弘化4年(1847)に建立。内陣には、真如親王のご染筆による弘法大師の御影を祀ることから、その名が付けられました。
根本大塔
金堂同様、弘法大師の時代から存在する建物です。内陣には、本尊胎蔵界曼荼羅大日如来を祀り、その周囲を金剛界曼荼羅四仏が取り囲み、壮大な真言密教の世界が表されています。
金堂
当初の建物は、高野山開創時に建立され、その後建て替えを繰り返しました。現在の建物は、昭和7年(1932)に再建。
年間を通じ、高野山の総本堂として、各種の法会が営まれます。
不動堂【国宝】
建久8年(1197)、鳥羽上皇皇女八条女院の発願により建立された高野山最古の建造物。建立当初は、阿弥陀堂であったと推測され、後に不動明王(重文)と八大童子(国宝、運慶作)が安置され、不動堂と呼ばれるようなりました。
女人堂
明治5年(1872)の女人禁制が解かれるまで、女性は高野山の周囲にある各所の女人堂(参籠所)から祈りを捧げました。現在、建物は不動坂口女人堂のみが現存し、当時の佇まいを留めています。
金剛峯寺
弘法大師の時代、金剛峯寺とは、高野山全体を指す名称でした。その後、文禄2年(1593)に豊臣秀吉の亡母の菩提を弔う為に建立された青厳寺が、明治2年(1868)に興山寺と合併。以後、寺院を指す名称となりました。
奥之院・燈籠堂
弘法大師を祀る御廟の拝堂として建立。内陣には、長和5年(1016)両親菩提のために、孝女てるが髪を売って献じた「貧女の一灯」